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2021/08/15

今日、仕事をしていて「有難う」と言われた。「有難う」……いい言葉だ。前に居た部署では、どんな仕事をしてもそれは「やって当たり前」という雰囲気のところだったので「有難う」なんて言われることはなかった。今の部署では他の方から(直属の上司は絶対に言わないけれど)「有難う」と言われることが増えてきた。「有難う」……魔法の言葉だ。これを聞くと自分が有用な人間になったという実感を味わえる。役に立っている、支えている、という実感だ。意外とこうした言葉がけひとつで働く意欲は左右されるものかもしれない。

昔、小説家になりたいがために長編小説を真剣に書こうと思い、頑張ったことがある。仕事そっちのけで書いて、結局ものにならず「向いていないことは止めなさい」と言われたのだった。今思えば私は間違っていた。生活がしっかりしていないのに良い小説なんて書けるはずがない。仕事や私生活など、自分の生活を整えることが大事だ。むろん、太宰治のように生活が破綻してもいいものを書いた作家は居る。ゴマンと居ると言ってもいい。だが、私は幸か不幸か太宰ではない。それだけのことだ。いい生活をしていれば、いいものが書けなくても幸せだ。いいものが書けないなら、私に才能はない。それだけのことだ。

エリック・ホッファー『波止場日記』を読んでいる。「活気のある社会は、玩具に心を寄せ、必要なもののためよりも不必要なもののために懸命に働く人々のつくる社会である」。ホッファーがどういうものを「不必要なもの」と呼んでいるのかわからないけれど、もしそれが娯楽や安らぎのためのもの、一見無駄とされているもの(だが、その無駄な余剰が楽しみをもたらす)であるとするなら私も賛同したい。エッセンシャル・ワーカーがこの社会を支えているのは確かだが、それだけが社会に有用な仕事というわけではない。これについてはまた考えてみたい。

マジッド・マジディ『少女の髪どめ』という映画を観る。その後ZOOMでミーティングに参加し色々話す。LINEでたまたま知った思想専門のグループのミーティングで、今日は自己紹介と少しゲームをしたのだけれど楽しかった。私が抱えている悩みや関心を共有できるグループのようであり、私自身も参加者として認めてもらえていると思った。こうした居場所があるということはいいことだ。冒頭で書いた「有難う」も、私のために他の方が居場所と作って下さったということかなと思う。私はやっと居場所を築いた、ということかもしれないと……。


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