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2019/12/25

古井由吉『この道』『魂の日』をめくる。読んだわけではない。精読こそ真の読書なのだが、なかなか頭に入ってくれないので斜め読みになってしまった。忙しさに気を取られているのかもしれない。年始が終わったらいずれ読み返そうかな、と思う。ただ、そんな「飛ばし読み」の読書であれ発見はあった。そんな発見をブログにしたためた。いつまで続くか分からないけれど、気が向いたら読みに来て下さい。

https://ameblo.jp/aciddazeareback

ゴッドスピード・ユー!ブラック・エンペラーというカナダの大所帯バンドの曲を聞いて午後を過ごす。今年こそはこんな仕事辞めてやる、と思って気がつけば 21 年……貧しい生活に倦怠感を覚えて、いつか自分にも人生一発大逆転の日が来ると思って、でもそんなチャンスなんてやって来るはずもなくて、ひたすら世の中を呪い自分を哀れに思っていた日々を思い出す。って、これ前にも書きましたね。

車を運転出来たら、もう少し早く生まれてバブルの恩恵に乗っかっていれば、発達障害者じゃなかったなら、云々。人に八つ当たりして、嫉妬して、自分がやっていたことと言えば酒を呑むことだけ。最低の日々だった。サンドウィッチマンが書いた『敗者復活』を読んだことがあるが(今は『復活力』という題で幻冬舎文庫に入っているらしい)、やはり飛ぶ鳥を落とす勢いの彼らも腐っていた頃があり、努力を重ねたらしい。

私は努力と才能という話になって来ると、松本大洋『ピンポン』を思い出すようにしている。あの漫画の中で、必死に修練を積んで自分よりも格上の存在の幼馴染に挑んで負ける卓球少年が登場する。だが、彼の存在は決してカッコ悪いものではないし、漫画を注意深く読めば努力を兎も角も重ねて登れるところまで登りつめた彼に細やかな幸せが訪れたこともきちんと描かれているのだった。彼は卓球選手としては大成しないが、努力した人間だけが掴めるなにかを手に入れたのだ。

つまり、努力は必ずしも実を結ぶものではない。その事実に対しては謙虚にならなければならない。だが、努力した人間だけが辿り着ける境地というものがある。だから、私は私なりに修練を積んでいるのだった。

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