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2020/10/03

ネットフリックスで人気ドラマ『13の理由』シーズン1第11話を観る。今回は重要な女子高生ハンナの自殺した原因が主人公に(も)由来すると告発する場面から。「え? そんなことで?」と思わず言ってしまう。本当に些細な理由なのだ。だが、そう思えるのは私のメンタルが40代にも達してそれなりに鍛えられたからで、なおかつ鬱状態でもないからでもある。鬱の時は本当に、あらゆることが(「カレーが辛い」とかそんなことまで)自殺の引き金になってしまう。自戒を込めてそう自分に言い聞かせる。

仕事は10時から。仕事に入ってしまえばなんてことはないのだが、入るまでに色々考え込んでしまう。こればかりはもう、慣れるしかない。今の気分に引きずられてしまうと建設的なことを考えられなくなるので、仕事も休まないで行くだけ行ってそこでダメだったら早退させてもらうくらいに考えて、それでちょうどいいのかもしれないと思う。phaという知識人(?)が「しんどい時は休むのも大事」と語っているが、私は自分の仕事術として「しんどい時はしんどいなりに仕事をする」という身の施し方を学んだつもりだ。もちろん、仕事から逃げる勇気も必要だが。

休み時間、なにも頭に入らない。川本三郎の『荷風と東京』も、蓮實重彦『監督 小津安二郎』も読む気がしない……最近「脳を休めないといけない」という変なプレッシャー(?)を感じているのだった。脳科学に関しては疎いのだが、起き続けたり本を読み続けたり仕事をし過ぎたりすると脳がクタクタになるのではないかと考えてしまう。「生兵法は大怪我の元」とも言うので、これに関しては詳しい人のライフハックから学びたいところだ。今日はしょうがないので昼休みはスマホでTwitterを見ていた。

仕事が終わり、さて小津安二郎の『晩春』でも観ようかと思ったのだが眠いので仮眠を摂る。そして仕切り直しで映画を観るかと思うが、気が乗らないので止めて『監督 小津安二郎』を少し読み、川本三郎の『荷風と東京』『郊外の文学誌』をパラパラとめくる。読んだわけではない。一時間ほどそんな風にして時間を無駄にする。今日はそんな、インプットが巧く行かなかった日だと思って諦める。人間、諦めも肝腎。明日休みなので、クイーン・ラティファが出ている映画を観たり小津を観たりそのあたりをぶらぶら散歩でもしようかな、なんて考える。

小沢健二のアルバム『犬は吠えるがキャラバンは進む』を聴く。このアルバムを作った時、確か小沢健二は東大に在籍していたのではなかったか。この記憶が間違っていたとしても、卒業した直後だったはず。つまりそれほど若かったわけだ。そんな歳でここまで老成したアルバムを作れるなんてバケモノだと思う。彼にとっても奇蹟の一枚ではなかったか、と……今の彼の動きはさほど注目していないが(賛否両論を呼ぶツイートもチェックしていない)、このアルバムは聴き続けることになるだろう。桜井和寿のように、好きにはなれないけれどその老成において気になるクリエイターだ。

MeWeやDiscordで英語でチャット。今年はコロナの騒ぎで英会話教室にも通えず、英語で人脈を作るという大それた(?)夢も棚上げになってしまった。YouTubeでアップロードされていた柳沢慎吾の「ひとりシャイニング」を海外の人に見せたところ、Mr.ビーンみたいだとウケていた。柳沢慎吾の話芸で笑えるようになったのは心が健康になってきたせいか、それとも年老いたのか。過激なものが素晴らしいと思い、ビートルズならジョンの方がポールより格上と思っていた時期が私にもあった。今は(むろんジョンも偉大だが)ポール・マッカートニーのオーソドックスな中に広がる真理が沁みるように思う。

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2020/10/02
朝起きて、例の如くネットフリックスの人気海外ドラマ『13の理由』を観る。今回はシーズン1の第10話だ。話が軽快に進むようで進まないが、しかしこうやって観てくると私の観方はあまりにもスピードを重視し過ぎていたかなとも思う。『13の理由』は徐々に登場人物たちを追い詰めていくそのスローモーションなドラマの進行ぶりが見事なのではないかと思ったのだ。今回の展開では予期せぬ出来事としての事故が登場する。そしてひとりの人物が死ぬ。このあたりも実にハード。そして、シーズン1はいよいよ佳境に入っていくのだった。見過ごせない。

その後バタバタしていたら、なんだかんだで映画を観る時間が取れなくなってしまった。取れたらガス・ヴァン・サントの『ドント・ウォーリー』を観ようと思ったのだが……しょうがないので早めにグループホームを出る。そして図書館へ行き、本を5冊借りた。小津安二郎に関する本を中心に選んでみた。選んだ都築政昭『小津安二郎日記 無常とたわむれた巨匠』を読む。分厚い本だがサクサク読めた。そして、その内容に唸らされてしまった。文字通り日記を精読した著者が綴った評伝らしき内容なのだが、小津の道のりは決して平坦だったわけではないという当たり前のことに気づかされたのだ。

小津が戦争を乗り越えて『晩春』『東京物語』などを撮ったのは40を過ぎてからのことである。小津は人生五十年の時代に生まれ落ちた人だったので、そんな人の40なんてもう晩年と言ってよかったのではないかと思う。迫りくる死を見据えて、そしてそこから逃げずに映画を撮った。私は『東京物語』『お早よう』『麦秋』しか観ていないのでなんとも言えないが、確かに「末期の眼」みたいな迫力は感じ取れる映画だと思う。これは『晩春』を観ないといけないなと思った次第だった。まだろくすっぽ小津を知らないのに蓮實重彦の本を読んだら怒られるだろうか。

九州に住む友人とWhatsAppでやり取り。小津の映画はなにかにつけて闇雲に努力して幸せを掴もうとしないところがいい、そこが『ロッキー』みたいな映画と違う、という意見を頂戴した。私は『麦秋』を観終えたあとだったので、「足るを知る者は富む」という美学があると思った。どうしたらこんな境地に至れるのか。それを受け継がんとしているのが是枝裕和の映画なのかもしれない。『海よりもまだ深く』の樹木希林が語る、なにかを諦めて初めて得られる幸せがあるという考え方に通じるものがあるのではないか、と思ったのだ。果たしてどうだろう。

仕事は相変わらず。仕事の合間の休憩時間に、さっき図書館で借りた川本三郎『荷風と東京』をパラパラと読む。荷風の不良老年について思いを馳せる。あまり荷風は日本文学の歴史において凄味を見せる作家ではないのだが(むろん、私とて『濹東綺譚』『断腸亭日乗』の凄味を知らないわけではないが)、こうやって読むと川本の仕事から垣間見える荷風はモダンで粋でかっこいい。しばらくは読書は荷風を読むのもいいかな、とも思った。ただ、旧仮名遣いは苦手なのでそこが難しいところだ。慣れの問題かもしれないが……。

職場では相変わらず「変な人」扱いされて、プライベートでは映画を観るもなかなか評論に感想をもらうこともできなくて、孤独が否応なしに増してしまう。いや、いじめられっ子だった頃と違って今はLINEで繋がっている友だちも居るし幸せなはずなのだ。罰当たりなことを考えてしまう自分を恥じる。だが、私はリアルでは本当に口下手なのでずっと不興を買い、ネットでもすぐ取り乱す性格が災いして5年以上友情が続いたことがない。今知り合っている方とはずっと末永く交際していきたいと思っているのだが……。
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2020/10/01

今日から10月。だからといってなにか新しいことをするでもなく、いつものようにネットフリックスの海外ドラマ『13の理由』シーズン1第9話を観る。今回はセックスとドラッグの話が中心。日本でこんなドラマを放映したら即袋叩きになるだろう。それを考えるとネットフリックスでしか出来ないドラマや映画表現というのはあるのかなとも思う。昨日観た園子温監督の映画『愛なき森で叫べ』も、普通の映画製作でならまずスポンサーが二の足を踏む案件だった。もちろん、過激な表現を許せばいいものが出来るなんて考え方は安直だと思う。しかし、『13の理由』はなかなか健闘しているとも思ったのだった。


10時から仕事。なので、それまでぼんやり本を読むでもなく過ごす。スチャダラパーの曲に「ヒマの過ごし方」というのがあるが、なにもしない時間をどう過ごすか考えているのだった。スマホを弄って過ごすのも考えもの。Twitterみたいな文字でかなりの情報交換を行うソーシャルメディアを見ていると、頭を使い過ぎてしまうのではないかと恐れる。脳を休めるようなソーシャルメディアはないものか……いや単にゲームやその他のアプリを使えばいいというだけの話なのだけれど。このあたり難しい。スマホの普及によりストレス耐性の質が変わってきたという研究もあるというし……。


仕事は相変わらず役に立っているのか立っていないのかわからないけれど、なんとかこなせた。仕事が終わり、図書館に行く。小林信彦『夢の砦』を探したのだけれどなかったので、川本三郎の本を借りようかと思い本棚を見ていたら新藤兼人『「断腸亭日乗」を読む』が目に留まる。面白そうなので借りてしまった。早速読んだのだけれど、なるほど永井荷風の『断腸亭日乗』を読み込んだアマチュアの仕事であり、愛が伝わってくる一冊であると思った。ちまちまと研究している人の無難な読みよりもこういう読みの方がよっぽど面白い。


夜。映画を一本観るかどうか考えて、一旦は蓮實重彦の本を読み始めたのだった。『監督 小津安二郎』だ。ただ、問題が生じた。それは私が小津安二郎の映画を一本しか観ていないということ。『東京物語』しか観ていないのだった。それで、秋口ということで『麦秋』を観始めた。あとになってから、「麦秋」とは麦の収穫時期のことで初夏を意味すると聞いた。だったら『秋刀魚の味』の方が相応しかったかも知れない。ともあれ最後まで観てしまった。なかなか面白く観ることが出来た。小津のリズムを掴めたからだろうか。


小津の本や映画に触れようと思ったのは単なる思いつきに過ぎない。ただ、観終えて、ただ単にもう若くない女性が結婚を決意する話がこんなにも沁みるのは私が40代後半を迎えたからかもしれないなと思ったりもしたのだった。新藤兼人『「断腸亭日乗」を読む』でも老いの話は出てくるし……老い、そして死が沁みる。『麦秋』は次の世代(自分の子どもや孫)が確実に自分たちの将来を切り開く姿を見て親たちが安心するという図式があったのだけれど、私にもし子どもが居たらそんな境地を味わえただろうか。そう考えると甚だ心許ない。


さて、もう寝る時間だ。明日図書館が開いたら都築政昭『「小津安二郎日記」を読む』を借りたいと思う。ひょんなことから始まった小津ワールドの探索だが、考えてみれば私のやることなんて計画性も意味もなにもない、出鱈目に気の赴くままにやっている無計画の極みなのだった。それは言うなれば昨日までの自分を捨ててしまって、今日というか今この瞬間にやりたいと思うことを衝動的にやるということだったりする。そういう、今やりたいことをやり続ける行動が道となって次に繋がると信じている。映画鑑賞だって闇雲に観まくってきた、ハナからなんの計画もなかった行動の積み重ねだったのだから……。

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今日は仕事前に時間があったので『13の理由』シーズン1の第7話を視聴する。前までは海外ドラマを観る際に「つまらなかったらどうしよう」と思い、ワンクールならワンクールをしっかり観通すプレッシャーを感じて億劫になっていたのだがやっと『13の理由』の物語のリズムに乗ってこられたように思った。クラスメイトの自殺という重いテーマを扱い、秘密がバレたら困ると保身に走る主人公たちの愚かしさが一流のエンターテイメント小説のように巧く表現されているように思う。『13の理由』は全13話がワンクール。つまり半ばまで観てしまったわけだ。最後まで楽しみに観たいと思う。


仕事前は相変わらず憂鬱なのだが、会社に一歩足を踏み入れた時から自分の中のテンションが変わるように思う。それまでおちゃらけてばかりいた古畑任三郎が急にシリアスな仕事の顔に変わるような、そんな変化が自分の中で起こるように思うのだった。それが22年この仕事をやってきた自分の、頭ではなく身体に刻みつけられた「習い性」なのかもしれない。こんな仕事いつでも辞めてやると思い続けて、しかし他にやりたいこともないままに、時には惰性で、時には義務感で続けてきた22年だったことに気づかされる。


というようなことを考えていたら、LinkedInで知り合いが22周年を祝って下さっていたのでそうか今月25日で22年になるのかと自分で驚いてしまった。大学を出る際に何処の会社からも内定がもらえず、やっとのことで拾われたのが22年前の9月25日。これ以上履歴書に書けない空白期間を作るのはまずい、半年持てばいいじゃないかと思って始めたのだった。そして……今から22年前、こんなことになるなんて予想だにしていなかった。本当に世の中はわからない。今からあれこれ先のことを考え過ぎるのも逆に非現実的なのかもしれない。風の吹くまま気の向くまま……。


昼休み、十河進『映画がなければ生きていけない 2013-2015』を読もうとするも頭が働かない。十河進がメルマガの仕事を始めたのは49歳になってからだという。私は45歳なのであと4年あるとも言えるわけだ。私はゴダールもキューブリックも知らなかった時代から5年かけて映画を観まくって今の知識まで持っていくことが出来た。流石にこんな努力を老いていく身に貸すことは無茶というものだが、だが人間は変わることが出来る生き物であるという自分の仮説を信じて、なりたい自分になるために変わっていきたいと思う。


グループホームに帰り夕食を食べたあと、深田晃司『ほとりの朔子』を観る。人畜無害なようで、かなり計算された「企み」に満ちた作品だと思う。マイルドな中に棘を隠し持っていて、ハマる人はハマるのではないかと。ただ、この映画はある程度映画を観慣れていない人でないと楽しめない辛さがあるとも思ったのだった。今、エリック・ロメール『海辺のポーリーヌ』を知っている一般の鑑賞者はどれだけ居るのだろう。いや、『ほとりの朔子』はロメールを観ていなくても楽しめる間口の広さを備えている、とは思うのだが――。


10月から酒税が値上がりするとかしないとかいう話を聞いている。つくづく酒を断ってよかったと思った。私は「飲みニケーション」は苦手だし、酒がないと本音を語れない人間は大したことがないとさえ思っているので呑まなくなったことは好都合なのかもしれなかった。今はシラフで飯を食えるし映画を観られるし、本も読める。もう今はアルコール依存症時代に戻りたいとは思わない。今が一番いい。そりゃ酒で酔っ払うのは快感ではあるが、私は今の生活にそこそこ満足している。その満足を手放さないまま、ジョブコーチの話を進められたらと思う。

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私は某大手デパートの日用消耗品売り場で、商品陳列の仕事をしている。商品陳列なんて、ただ商品を並べればいいのだから「誰でも出来る」仕事だ。もちろんそんな仕事をするために大学に行ったわけではないし、読書も映画鑑賞もその仕事とはなんの関係もない。「誰でも出来る」……そう自嘲しつつも、時にはイヤでイヤで仕方がなくなっても、それでも食らいついて仕事をしている。気がつけば22年経っていた。昇給も昇進も夢のまた夢みたいなものではあるが、それでも仕事はしている。これでいいのかなあ、と考えてしまう。

デヴィッド・グレーバー『ブルシット・ジョブ』という本を読んだ。例えばお茶汲み係のような、明らかにどうでもいいし「誰でも出来る」仕事、それでキャリアアップや人間的な成長など望むべくもないような仕事が何故かしかしこの世の中にはある(いや、こういう言い方はもちろんお茶汲み係をプライドを以てしている人に失礼なのだけれど、他にいい例えが思いつかないのだ)。それについて語り、ひいては「仕事」というものが崇高な存在として扱われている倒錯した事態についても触れられていて、なかなか面白かった。

私たちは、「仕事」を有難いものと見做しているし、「仕事」をしていることを立派だと思う傾向がある。例えば親の遺産を切り崩して食べていっている人よりも、コンビニでだろうと働いてお金を稼いでいる人に好感を持つ傾向がある(という言い方はコンビニの従業員に失礼なのだけれど……以下略)。だが、その「仕事」は本当に必然があって存在する仕事なのだろうか? AIが全てやってくれるようになっても残る「仕事」なのだろうか? そう考えると、「仕事」というのは摩訶不思議なものだ。いずれデパートの商品陳列もAIがやってくれるようになるのかもしれない。それでも私は残るのだろうか。

なくてもいい「仕事」だってある。真っ先に思いつくのがブラック企業の「仕事」。どんな高給であってもサービス残業当たり前で人格まで否定される「仕事」なんて、なくなってしまった方がいい(幸い私の会社はそんな会社ではないが、給料は安い)。こうやって考えていくと、「仕事」をするからエラいとは必ずしも言えないのだなと思う。例えばブログ記事を書いたりインスタに写真を上げまくって遊んでお金を稼ぐ人の方が、よっぽどエラいかもしれない(そういう人は遊ぶことが「仕事」になっている、とも言えるのだが)。

こう考えていくと、「仕事」なんて人がとある指定された時間に指定されたことをやるかなのだなと思う(それがどれだけ効率的か、どれだけその人を「磨く」かは二の次だ)。私も、好き勝手に商品を陳列して、好き勝手にやりたいようにやってお金をもらっている。ただ、私の場合は辛うじて22年もやっているので頭ではなく身体が商品の手触りや手応えを覚えていて、身体が自然に動いて仕事をしてくれる。その意味では私は「誰でも出来る」仕事を自分なりのやり方で自家薬籠中の物にしたと言えるのかもしれない。

『ブルシット・ジョブ』から離れてしまったのだけれど、今は本当に過渡期なのかもしれないと思う。お茶汲み係やコンビニの店員、私のような生半可な従業員といった人々は淘汰されるのか(『ブルシット・ジョブ』では仕事と報酬を切り離す切っ掛けとしてベーシック・インカムの是非も問われている)。それとも生き残るのか。どちらにしても働くことがただ単に時間とパフォーマンスを切り売りすることに堕するのではなく、その人がその人らしく輝ける作業になればいいね……と結論にもならないことを書いてしまうのだった。

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