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近々、知人を相手に断酒会について話すことになった。どこから話そうか考えている。中島らも『今夜、すべてのバーで』を読み返そうか……断酒会に所属して酒を断って6年になろうとしている。止め始めた時はここまで続くとは思っていなかった。もちろん、一旦呑んでしまったらカップ1杯のお酒であってもアウトだと聞いている。チョコレートの中に入っているようなお酒でも危ないらしい。大好きだった甘酒も呑めないのだった。まあ、仕方がない。酒を止めたあとの生活の幸せさを考えたら贅沢は言えないな、と思っている。

ああ、随分お酒を呑んだものだ……大学卒業を控え、就職活動をしていた頃のことだ。当時は自分が発達障害だと全然知らなかったもので、就職氷河期にぶち当たってしまって就職が決まらず、やけくそになって一日の終わりにビールを呑み始めたのだった。それが続いた……実家に帰ってニート暮らしをしていた時も、仕事を始めてからも私は病的な飲酒を続けていた。仕事が終わるとコンビニや酒屋に行って酒を買い、呑んだくれて一日を終わらせる。もちろん体にいいはずがない。でも、止められなかった。体を健康に保ったとしてもどうせ人生は終わったも同然だった……と信じていた。

自分の呑み方がおかしい、とは心のどこかで思っていた。それで断酒について調べていた時に、私の町に断酒会があることを知った。見学しようと思って連絡したのだけれど、そこから健康増進課の方とつながりができた。断酒会に参加することを誘われて……そして、偏頭痛で倒れて酒が止まった一日があった。その日に、これ以上呑み続けていても幸せな人生なんて送れっこないと思い酒をきっぱり断つことを決意したのだった。不安はあった。酒が自分を支えていたというか、生きるエネルギーを与え続けていたのだから。

そんなわけで、私にとって酒を止めることができたというのはただ依存症から(たまたま)脱せたというだけではなく、私自身にとっての「生きるエネルギー」をどこから得るかという考え方の転換ともなった。酒を止めて健康に動くようになった身体、健全に働くようになった思考で今一度自分にとって本当に幸せなこととはなにか考える。それは、カネでは必ずしもない(綺麗事は言いたくないので、カネがないよりはあった方がいいとは思う)。日々の旨い食事と面白い本、身体を駆使する仕事、そして穏やかに続く「終わりなき日常」(宮台真司)だと思っている。


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今日はオフだった。朝、図書館に行って赤瀬川原平『世の中は偶然に満ちている』を借りる。読んだのだけれど、タイトル通り著者が「偶然」出会った人々や出くわした出来事について記録した日記および夢日記をまとめたもので、なかなか面白かった。「偶然」起こる出来事について「そういうこともある」「それが『世の中』だ」とあっけらかんと受け容れ、楽しむことが貫かれており著者のそんな柔軟さが心地よく感じられる。この楽しむ姿勢があればこその「老人力」の発見にもつながったのだろう。私も愛すべき「偶然」を探したくなった。

この日記の方向性についても考えさせられた。私はいつも「思っていること」を書いているわけだけれど、たまには「起きたこと」も記録してもいいのではないかと思ったのだ。赤瀬川原平の日記の影響かもしれない。もちろん赤瀬川原平の日記のようなファニーな偶然なんてそうそう起こらないのだけれど、毎日毎日同じように自分の思いばかり書いていてもマンネリになるだけかなと思った。とはいえ変化に乏しい日々を過ごしているので、今日起きたことといえば永井荷風の『摘録 断腸亭日乗』を読み始めただけなのだけれど。

昼に髪を切ってもらい、夜に断酒会に行く。その後グループホームで眠りにつくまでの時間沢木耕太郎『路上の視野』を読む。いつも沢木耕太郎に関しては腐すような褒めるような曖昧なことを書いているが、私は彼の姿勢を尊敬している。対象に対してフェアに接し、他人の言葉や語彙を借りずに自分の思考能力を駆使して様々なことを考え、それを丁寧に言葉にしていくところに惹かれる。だが、それは私の考えることとなかなか相容れない。もちろんだから悪い、なんてことはないわけでその「相容れない」ところに逆に惹かれているのかもしれない。

昔のことを思い出した。20代でウェブ日記を書いていた頃、私は面白おかしく自分なりにサービスをすること、娯楽に徹することが読まれる秘訣なのではないかと思っていた。随分バカなことを書いたものだ(もうその頃のログは捨ててしまった)。評論家/コメンテーターを気取って……今はそんな気にはなれない。大切な人が読んで下さっているので、それでいいかなと思う。だから日記の内容を変えるというのはあくまで自分が自分なりになにか新しいことに挑む、そんな軽い気持ちから生まれるものとなる。明日からやってみよう。


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2022/01/25

ああ、どうしてなのだろう……どうしても人と違ってしまう。高校生の頃、他のクラスメイトがB'zだドリカムだとメインストリームの音楽に素直に入っていっていた時に、私はそういう音楽が何度聴いても耳に入らないでいた。くだらない、というわけではない。どちらもクオリティはお世辞ではなく相当に高い。海外にだって立派に通用する音楽だと思う。だが、私は全然心の琴線に触れるものを感じなかったのでひとりでフリッパーズ・ギターだb-flowerだピチカート・ファイヴだ……といった音楽を聴いていたのだった。今で言う渋谷系、というやつだ。

読書にしたってそうだ。当時ベストセラーだったのはなんだったか覚えていないのだけれど、私はそんなあぶくのようなベストセラーを読んでも全然面白いと感じなかった。ベストセラーをコケにするつもりはない(いや、当時の私ならベストセラーを「衆愚」「愚民」の書としてバカにしていたかもしれないが)。だが、私の魂が求めるものはもっとマニアックなものだった。だからひとりでスティーブ・エリクソンやポール・オースター、金井美恵子や高橋源一郎や島田雅彦といった作家を読んでいた。懐かしく思い出せる。

どうしてなのだろう……どうしてかはわからない。だが、人と違ってしまう。そして、私は(発達障害故のことなのか、それとも生来の性格だからなのかはわからないが)自分に嘘をついてまで生きることが遂にできない。だから、高校生の頃はひとりぼっちで音楽を聴き本を読んで、死んだふりをして過ごした。そんな日々を思い出せる。東京に思いを馳せ、もっと広い世界を見たいと思った。だから尾崎豊なんて全然理解できなかった。私が歯向かっていたのは管理教育の「支配」ではなく、もっと広く日本人全体に瀰漫している空気だったからだ。

あれから随分時間が経った。私が正しいとかみんなが正しいとか、そういう問題でないことも腑に落ちるようになった。世の中広いんだからスロッビング・グリッスルやナース・ウィズ・ウーンドみたいな音楽で心が騒ぐ人が居たっておかしくない。だが、大げさと叱られるかもしれないが私にとって高校時代はそんな、さながら刑務所や強制収容所のようなストレスフルな経験だったのだった……と書くとお叱りを受けるかもしれない。だが、本当の地獄は日常と切り離されたものではなく、むしろ日常の中にこそ潜んでいると思う。それを見抜くのが知性だ、と。それがあの日々から学んだことだ。

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今日は天気が良かった。前にも書いたことだが、天気が良いと酒に呑まれていた頃のことを思い出す。私は車を運転できない。発達障害故の不器用さによるもので、だから天気が良い日、他の人がアウトドアだ行楽だとドライブを満喫していた時に、私はどこにも行けないでひとりで家で酒を呑んでいた。自分なんて生まれてこなければよかったと思い、酒で死ねればこんなにいいことはないとも思い、ひたすら世の中を呪った。実につらい日々だった……だから私には青春時代の思い出がない。一番楽しいはずの20代・30代の記憶がなく、なにをしていたか思い出せない。

知人で、10年以上にわたるひきこもりを経験した人が居る。彼は今ひきこもりを脱し、同じようにひきこもりで苦しんでいる当事者や家族の方を支援する活動をしている。講演を行ったり、ZOOMを使った「電子居場所」を作ったりしているようだ。彼のそうした活動を知ると私も励まされるのを感じる。私はなにか誇れるようなことをしているだろうか……あまり自分を卑下してもしょうがないのだけれど、私はただ好きなように生きているだけなので威張れたものではない。人は「今のままでいいよ」と言ってくれるのだけれど。

沢木耕太郎『世界は「使われなかった人生」であふれてる』という、さまざまな映画にまつわるエッセイを読み始めた。沢木耕太郎は、人の人生には「使われなかった人生」が内包されうると語っている。選ばなかった選択肢というものがあり、行かなかった道というものがある。あの時、あの道を歩いていたら……私の人生の分岐点はどこだっただろうか、と思う。早稲田に行った時? いや、違う。市内で発達障害について話せる場所が見つかればと思って、ネットで調べて古民家カフェを見つけて、電話をかけて……あの時、私の人生は決定されたのだと思う。あの電話をかけなかったらどうなっていただろうか。

今、自分は満たされているのを感じる。自分に満足できている。だがこれは、向上心がない、とも言える。もっと高いところを目指すというか、極端に言えば「てっぺんを目指す」気概がないということでもあるのだから。だが、てっぺんを目指すだけが人生でもあるまい。こんな生き方をしていてもいいのだろうか、資格を取るとか目的を持つとかしないといけないのかなあ、と思いながらも今自分は自分なりに自由に楽しく生きていて、それで満足だと思う。こんな風に永井荷風『濹東綺譚』や『日和下駄』を読んだりしながら老いていくのだろう。ああ、それも人生。

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GoogleKeepを使い始めることにして、最近いろいろ約束事や日記のログなどを登録している。実を言うと、Discordで出会った知人からExcelの中に思いを吐き出したり予定を書き込んだりすることを薦められていて、私もExcelを使ってみたのだけれどハードルが高く、到底私の手に負えるものではない。なのでGoogleKeepに落ち着いた。GoogleKeepだとグーグルカレンダーとも同期しているので予定を書き込みやすい。これでうまくいくかどうかわからないけれど、なにもしないよりはマシと思って始めてみた。さて、吉と出るか凶と出るか。

本を一冊読んだ。沢木耕太郎『銀河を渡る』という本だ。沢木耕太郎の本はそんなに熱心に読んだ読者ではない。彼のノンフィクションは面白そうだと思うが読めておらず、したがって私が読むのは彼の映画評やコラムばかりだ。いつも彼の書くものには独自の美学を感じ、それが卒なく貫かれている上品さを感じる。このエッセイ集もアトラクションというか手品を見せられているかのような華麗な手付きを楽しむことができ、その意味では満足できた。彼の映画評を読み返すのもいいかもな、と思わされ本棚を探って彼の映画評集を取り出した。読んでみようと思う。

それ以外は概ね今日はなにもしなかった。映画を観る時間はあったのだけれど、観ようというモチベーションが湧かなかったのだ。あとやったことと言えば、先週日曜日に参加したミーティングの記録を清書したことくらいだ。たまにはこうしてダラダラ過ごす時間も必要なのかもしれないな、と思った。内田百閒の随筆をパラパラ読んで、眠くなったらそのまま寝て……本能が赴くままに過ごした、という感じだった。沢木耕太郎の映画評を読んだら映画へのモチベーションが再び湧いてくるかもしれないので、そこは流れに任せようと思った。

夜にclubhouseで誘われていた部屋に参加する。そこで日記を朗読する。インドネシアのジュディスさんの開く部屋に参加していた頃にこうして日記を読むことを始めたのを思い出す。今回の朗読はその名残だ。緊張したが、今回は一日分まるっと読んでもいいということだったので言葉に甘える。内田百閒なんていっても外国の方にはちんぷんかんぷんだったと思うのだが、好意的に受け留めて下さったのが嬉しかった。誰もがユニークで、誰もが美しい……そんな言葉を戴き、心が暖まるのを感じた。それで今日の活動は終わった。


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