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ワンダフルライフ

私が早稲田を出たことはもう書いただろうか。94年に入学した。将来は保証されていると思っていた。一流大学から一流企業への就職。成功者まっしぐらの人生。いずれは家族を設けて、一軒家を築いて……。

発達障害者だと判明する前の話だったので、就職氷河期にぶち当たり就活で躓いた。今の会社に拾われてから、ずっと自分は人生の負け犬だと思っていた。貧乏暮らしの惨めな生活。発達障害者だと分かってからも、そんなことなんの慰めにもならなかった。ずっとこの世を呪っていた。厳しい競争社会からこぼれ落ちた無能で無意味な存在であり、そう仕向けた世の中が悪い、と。

だから――ロスジェネのひとりとして――私は秋葉原で刃物を振り回したり京アニに放火をした人たちのメンタリティを嗤うことは出来ない。もちろん犯罪は良くない。ぶつける怒りは弱者ではなく権力の走狗に対してであるはずだし、合法的な手段でなければその暴行は無駄に終わると信じている。犯罪を起こす人間は、なによりも「己に負けた」のだ。

だが、そうすることでしか癒やされなかった怒りというのも確実にあると思うのだ。私の内側にも同じような怒りがあった。それは未だに燻っている。だが、酒を止め、旨い飯を食い素敵な人々と語らうことで癒やされている。その人たちは成功者ではない。だが、ドロップアウトして伸び伸びと人生を謳歌している人たちばかりだ。

今日は発達障害を考えるオフラインミーティングがあった。そこで豆乳シチューを食べた。無添加の材料にこだわったものだったので、殊の外旨かった。これから風呂に入り、タランティーノの映画を観ようかと思っている。あるいは沢木耕太郎『銀の森へ』を読み、知らなかった映画を踏破するのも手だろう。

アイザック・バシェヴィス・シンガーという作家が「人生は神の小説である。神に書かせなさい」と語っている。この言葉を私は生きる指針にしている。20代・30代を私は会社のキャリア組として生きて来たわけではない。従って老後の保証もなにもない。ステータスは相変わらず「契約社員」。だが、その代わり好きな映画を観る時間はあるし旨い飯も食える。それもまた人生だ。その人生にこそ、私は喜びを感じる。

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