·   ·  ノート数:34

2020/12/20

朝、ニルヴァーナのアンプラグド盤を聴く。朝から聴くような音楽ではないが、不調なので仕方がない。グランジという音楽の流行りを業のように(パイオニアだったからだろうか)引き受けてしまったカート・コバーンという男は、その流行りからさっさと逃げ出して「グランジなんて死んだ」とうそぶくことができなかった、真面目過ぎる男だったのだろうと思う。このアルバムは傑作だと信じている。なかなか理解されなかった「曲の旨味」が、静かな演奏の中に生きているからだ。彼らはいい仕事をした。だが、欲を言えば自殺なんてしないでもっと生きて牢名主のようなふてぶてしさを見せてほしかった。

一時間、あるいは二時間退屈な時間を過ごし……チャット仲間とも会うことができずに手持ち無沙汰なまま朝を過ごす。酒を止めてしまったのでこの退屈さとシラフでつき合わなければならない。朝は私にとって、お腹の中で朝食を消化する時間なのだった。朝から読書をしたり映画を観たり本を読んだりというように、アクティブに活動することができない。それでいいのだと思う。朝から飛ばしすぎると夜に疲れる。体温を測り、なかなか遅々として進まない時計とにらめっこしながらやり過ごす。英語で日記を書き直してもよかったかな、とも思ったがそれもできなかった。

10時から発達障害を考えるオフラインミーティング。楽しい時間を過ごす。気がついてみればこの集いに参加するようになって三年以上。私は方方『武漢日記』について話した。カミュ『ペスト』にも似た、気持ちにひきずられずやるべきことを淡々とやった人たちの記録がここにある。ルーチンワークをこなすというのは大事なことなのだろうと思う。私も、これがなんの役に立つんだろうと思いながら本を読み、映画を観たり音楽を聴いたりしているのだけれど、身体は心以上になにをなすべきか知っているのだろうと思う。だから、今日も朝食と入浴と洗濯を済ませた。

そこで、参加されている方から農園について話を聞かせてもらう。ソーシャル・ビジネスの一環として、生きづらさを抱えている青少年たちに作業に応じて報酬を払えるような仕組みの農園の手伝いを提供する、という話。私自身の行いを反省する。新しいアイデアをどんどん実現させていく人がいる一方で、私は「なにも変わらない」と斜に構えて腐っていたのだった。私にできることとして、頭木弘樹さんの本について自分の持っているYouTubeのチャンネルで語れないかと思う。年内、あるいは年明けに発表すべく『食べることと出すこと』を読み返そうと思ったのだった。

参加者の方に「あらゆる本を読んでいる」と言われたのだけれど、読みたい本を読んでいるだけなので威張れたものではない。ゲームや食事と一緒で、生きていくために(時には楽しく、時には仕方なく)していることだ。だが、なにはともあれ読みに読んで今では読書メーターのレヴュー数が1000を超える勢いなので、これを元手になにかできないかなとも思う。そう考えていくと生きる気力が湧いてくるように思う。そう、まだ私は腐ってしまうには早すぎる。そして、それを為すためにはひとりで考えていてはダメなのだ。他の方とコラボして自分や他人の可能性を引き出すことはできないか。

ミーティングが終わったあと、それでも急に回復しようと焦っては潰れることがわかっているので、大人しく寝込んでいた。年末年始はそういうプレッシャーとの戦いなのだった。だから映画も観られず、本も矢作俊彦の『あ・じゃ・ぱん!』下巻を読めず。M-1グランプリがあったらしいが私は関心がないので観なかった。日々、一進一退。三歩進んで二歩下がる。なかなか変わらない今に腰を据えて挑み、それでも確実に少しずつ変化していく今を楽しみ、成長する自分の手応えを楽しみたい……と綺麗ごとは出てくるのだが、空回りしているような気もして剣呑なのだった。

  • 216