discocat

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やる気なく、何もする気が起きない。幸いなことに今日は休みなので一日中ひきこもっていようかとも思った。何もしないでグーグー寝る……でも、朝ごはんを食べて風呂に入るといつものように朝活でイオンに行きたくなったので行く。どのようなコンディションであろうと、なすべきことをなす。これは仕事から学んだことでもある。この日記にしても、書きたくない時もある。でも感情に流されずにやるべきことを淡々とやる。そうしていると、身体が自動的に反応して仕事やその他のタスクをこなす。後は流れに任せるままだ。

イオンで『ダンス・ダンス・ダンス』を読む。それにしても、この長い小説は何を語ろうとしているのだろう? 確かによくできたというかウェルメイドな小説だが、何らかの教訓を語ろうとはしていないようだ。しかし、物語として面白ければそれでいいとも言える。ひと時、心を彷徨わせるために物語を読む……そうした経験も必要なのだろう。80年代のファッショナブルな空気を描き、おびただしい数の音楽に言及し、中身のない消費のための消費に明け暮れた時代を描く。そんな小説だが、今の自分にはそうした現実から逃げる経験も必要だったのかもしれない。

昨日書いたが、一件失敗してつらい思いをした。このまま一生貧乏なままで死ぬのだろうか、とも思う。だが自分の今の境遇を作り出している責任の一端は自分にある。それもまた事実だ。過去のように一日中酒に溺れてTwitterで管を巻く、そんな人生は送りたくない。ならば自分を鍛えるまでだ。そう思い、少しでも向上しようと思って英語版で村上春樹『ノルウェイの森』を読み始めた。英語で読むと日本語版のテクストのような膨らみがなく、タイトに引き締まった作品として読めるように思う。こうして英語力を鍛えるべく、もっとたくさん読みたいと思った。

『ダンス・ダンス・ダンス』から敢えて教訓を引き出すとすれば、多分それは昨日も書いたように「成長」であり「すべては過ぎ去る」ということだと思う。それは『ノルウェイの森』でも同じだった。どんなつらい経験をしてもお腹はすくし、朝は来る。ならばその時間の流れに合わせて「踊る・踊る・踊る」。そうしているといいこともあるだろうし、身体が自然と回復する。回復すると新たなチャンスも到来する。そうして日々はめぐる……そして人生はつづく。そんなことを考えながら『ダンス・ダンス・ダンス』を読み、今日という日を感謝を抱きつつ締めくくった。

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近々、知人を相手に断酒会について話すことになった。どこから話そうか考えている。中島らも『今夜、すべてのバーで』を読み返そうか……断酒会に所属して酒を断って6年になろうとしている。止め始めた時はここまで続くとは思っていなかった。もちろん、一旦呑んでしまったらカップ1杯のお酒であってもアウトだと聞いている。チョコレートの中に入っているようなお酒でも危ないらしい。大好きだった甘酒も呑めないのだった。まあ、仕方がない。酒を止めたあとの生活の幸せさを考えたら贅沢は言えないな、と思っている。

ああ、随分お酒を呑んだものだ……大学卒業を控え、就職活動をしていた頃のことだ。当時は自分が発達障害だと全然知らなかったもので、就職氷河期にぶち当たってしまって就職が決まらず、やけくそになって一日の終わりにビールを呑み始めたのだった。それが続いた……実家に帰ってニート暮らしをしていた時も、仕事を始めてからも私は病的な飲酒を続けていた。仕事が終わるとコンビニや酒屋に行って酒を買い、呑んだくれて一日を終わらせる。もちろん体にいいはずがない。でも、止められなかった。体を健康に保ったとしてもどうせ人生は終わったも同然だった……と信じていた。

自分の呑み方がおかしい、とは心のどこかで思っていた。それで断酒について調べていた時に、私の町に断酒会があることを知った。見学しようと思って連絡したのだけれど、そこから健康増進課の方とつながりができた。断酒会に参加することを誘われて……そして、偏頭痛で倒れて酒が止まった一日があった。その日に、これ以上呑み続けていても幸せな人生なんて送れっこないと思い酒をきっぱり断つことを決意したのだった。不安はあった。酒が自分を支えていたというか、生きるエネルギーを与え続けていたのだから。

そんなわけで、私にとって酒を止めることができたというのはただ依存症から(たまたま)脱せたというだけではなく、私自身にとっての「生きるエネルギー」をどこから得るかという考え方の転換ともなった。酒を止めて健康に動くようになった身体、健全に働くようになった思考で今一度自分にとって本当に幸せなこととはなにか考える。それは、カネでは必ずしもない(綺麗事は言いたくないので、カネがないよりはあった方がいいとは思う)。日々の旨い食事と面白い本、身体を駆使する仕事、そして穏やかに続く「終わりなき日常」(宮台真司)だと思っている。

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今日はオフだった。朝、図書館に行って赤瀬川原平『世の中は偶然に満ちている』を借りる。読んだのだけれど、タイトル通り著者が「偶然」出会った人々や出くわした出来事について記録した日記および夢日記をまとめたもので、なかなか面白かった。「偶然」起こる出来事について「そういうこともある」「それが『世の中』だ」とあっけらかんと受け容れ、楽しむことが貫かれており著者のそんな柔軟さが心地よく感じられる。この楽しむ姿勢があればこその「老人力」の発見にもつながったのだろう。私も愛すべき「偶然」を探したくなった。

この日記の方向性についても考えさせられた。私はいつも「思っていること」を書いているわけだけれど、たまには「起きたこと」も記録してもいいのではないかと思ったのだ。赤瀬川原平の日記の影響かもしれない。もちろん赤瀬川原平の日記のようなファニーな偶然なんてそうそう起こらないのだけれど、毎日毎日同じように自分の思いばかり書いていてもマンネリになるだけかなと思った。とはいえ変化に乏しい日々を過ごしているので、今日起きたことといえば永井荷風の『摘録 断腸亭日乗』を読み始めただけなのだけれど。

昼に髪を切ってもらい、夜に断酒会に行く。その後グループホームで眠りにつくまでの時間沢木耕太郎『路上の視野』を読む。いつも沢木耕太郎に関しては腐すような褒めるような曖昧なことを書いているが、私は彼の姿勢を尊敬している。対象に対してフェアに接し、他人の言葉や語彙を借りずに自分の思考能力を駆使して様々なことを考え、それを丁寧に言葉にしていくところに惹かれる。だが、それは私の考えることとなかなか相容れない。もちろんだから悪い、なんてことはないわけでその「相容れない」ところに逆に惹かれているのかもしれない。

昔のことを思い出した。20代でウェブ日記を書いていた頃、私は面白おかしく自分なりにサービスをすること、娯楽に徹することが読まれる秘訣なのではないかと思っていた。随分バカなことを書いたものだ(もうその頃のログは捨ててしまった)。評論家/コメンテーターを気取って……今はそんな気にはなれない。大切な人が読んで下さっているので、それでいいかなと思う。だから日記の内容を変えるというのはあくまで自分が自分なりになにか新しいことに挑む、そんな軽い気持ちから生まれるものとなる。明日からやってみよう。

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2022/01/25

ああ、どうしてなのだろう……どうしても人と違ってしまう。高校生の頃、他のクラスメイトがB'zだドリカムだとメインストリームの音楽に素直に入っていっていた時に、私はそういう音楽が何度聴いても耳に入らないでいた。くだらない、というわけではない。どちらもクオリティはお世辞ではなく相当に高い。海外にだって立派に通用する音楽だと思う。だが、私は全然心の琴線に触れるものを感じなかったのでひとりでフリッパーズ・ギターだb-flowerだピチカート・ファイヴだ……といった音楽を聴いていたのだった。今で言う渋谷系、というやつだ。

読書にしたってそうだ。当時ベストセラーだったのはなんだったか覚えていないのだけれど、私はそんなあぶくのようなベストセラーを読んでも全然面白いと感じなかった。ベストセラーをコケにするつもりはない(いや、当時の私ならベストセラーを「衆愚」「愚民」の書としてバカにしていたかもしれないが)。だが、私の魂が求めるものはもっとマニアックなものだった。だからひとりでスティーブ・エリクソンやポール・オースター、金井美恵子や高橋源一郎や島田雅彦といった作家を読んでいた。懐かしく思い出せる。

どうしてなのだろう……どうしてかはわからない。だが、人と違ってしまう。そして、私は(発達障害故のことなのか、それとも生来の性格だからなのかはわからないが)自分に嘘をついてまで生きることが遂にできない。だから、高校生の頃はひとりぼっちで音楽を聴き本を読んで、死んだふりをして過ごした。そんな日々を思い出せる。東京に思いを馳せ、もっと広い世界を見たいと思った。だから尾崎豊なんて全然理解できなかった。私が歯向かっていたのは管理教育の「支配」ではなく、もっと広く日本人全体に瀰漫している空気だったからだ。

あれから随分時間が経った。私が正しいとかみんなが正しいとか、そういう問題でないことも腑に落ちるようになった。世の中広いんだからスロッビング・グリッスルやナース・ウィズ・ウーンドみたいな音楽で心が騒ぐ人が居たっておかしくない。だが、大げさと叱られるかもしれないが私にとって高校時代はそんな、さながら刑務所や強制収容所のようなストレスフルな経験だったのだった……と書くとお叱りを受けるかもしれない。だが、本当の地獄は日常と切り離されたものではなく、むしろ日常の中にこそ潜んでいると思う。それを見抜くのが知性だ、と。それがあの日々から学んだことだ。

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今日は天気が良かった。前にも書いたことだが、天気が良いと酒に呑まれていた頃のことを思い出す。私は車を運転できない。発達障害故の不器用さによるもので、だから天気が良い日、他の人がアウトドアだ行楽だとドライブを満喫していた時に、私はどこにも行けないでひとりで家で酒を呑んでいた。自分なんて生まれてこなければよかったと思い、酒で死ねればこんなにいいことはないとも思い、ひたすら世の中を呪った。実につらい日々だった……だから私には青春時代の思い出がない。一番楽しいはずの20代・30代の記憶がなく、なにをしていたか思い出せない。

知人で、10年以上にわたるひきこもりを経験した人が居る。彼は今ひきこもりを脱し、同じようにひきこもりで苦しんでいる当事者や家族の方を支援する活動をしている。講演を行ったり、ZOOMを使った「電子居場所」を作ったりしているようだ。彼のそうした活動を知ると私も励まされるのを感じる。私はなにか誇れるようなことをしているだろうか……あまり自分を卑下してもしょうがないのだけれど、私はただ好きなように生きているだけなので威張れたものではない。人は「今のままでいいよ」と言ってくれるのだけれど。

沢木耕太郎『世界は「使われなかった人生」であふれてる』という、さまざまな映画にまつわるエッセイを読み始めた。沢木耕太郎は、人の人生には「使われなかった人生」が内包されうると語っている。選ばなかった選択肢というものがあり、行かなかった道というものがある。あの時、あの道を歩いていたら……私の人生の分岐点はどこだっただろうか、と思う。早稲田に行った時? いや、違う。市内で発達障害について話せる場所が見つかればと思って、ネットで調べて古民家カフェを見つけて、電話をかけて……あの時、私の人生は決定されたのだと思う。あの電話をかけなかったらどうなっていただろうか。

今、自分は満たされているのを感じる。自分に満足できている。だがこれは、向上心がない、とも言える。もっと高いところを目指すというか、極端に言えば「てっぺんを目指す」気概がないということでもあるのだから。だが、てっぺんを目指すだけが人生でもあるまい。こんな生き方をしていてもいいのだろうか、資格を取るとか目的を持つとかしないといけないのかなあ、と思いながらも今自分は自分なりに自由に楽しく生きていて、それで満足だと思う。こんな風に永井荷風『濹東綺譚』や『日和下駄』を読んだりしながら老いていくのだろう。ああ、それも人生。

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GoogleKeepを使い始めることにして、最近いろいろ約束事や日記のログなどを登録している。実を言うと、Discordで出会った知人からExcelの中に思いを吐き出したり予定を書き込んだりすることを薦められていて、私もExcelを使ってみたのだけれどハードルが高く、到底私の手に負えるものではない。なのでGoogleKeepに落ち着いた。GoogleKeepだとグーグルカレンダーとも同期しているので予定を書き込みやすい。これでうまくいくかどうかわからないけれど、なにもしないよりはマシと思って始めてみた。さて、吉と出るか凶と出るか。

本を一冊読んだ。沢木耕太郎『銀河を渡る』という本だ。沢木耕太郎の本はそんなに熱心に読んだ読者ではない。彼のノンフィクションは面白そうだと思うが読めておらず、したがって私が読むのは彼の映画評やコラムばかりだ。いつも彼の書くものには独自の美学を感じ、それが卒なく貫かれている上品さを感じる。このエッセイ集もアトラクションというか手品を見せられているかのような華麗な手付きを楽しむことができ、その意味では満足できた。彼の映画評を読み返すのもいいかもな、と思わされ本棚を探って彼の映画評集を取り出した。読んでみようと思う。

それ以外は概ね今日はなにもしなかった。映画を観る時間はあったのだけれど、観ようというモチベーションが湧かなかったのだ。あとやったことと言えば、先週日曜日に参加したミーティングの記録を清書したことくらいだ。たまにはこうしてダラダラ過ごす時間も必要なのかもしれないな、と思った。内田百閒の随筆をパラパラ読んで、眠くなったらそのまま寝て……本能が赴くままに過ごした、という感じだった。沢木耕太郎の映画評を読んだら映画へのモチベーションが再び湧いてくるかもしれないので、そこは流れに任せようと思った。

夜にclubhouseで誘われていた部屋に参加する。そこで日記を朗読する。インドネシアのジュディスさんの開く部屋に参加していた頃にこうして日記を読むことを始めたのを思い出す。今回の朗読はその名残だ。緊張したが、今回は一日分まるっと読んでもいいということだったので言葉に甘える。内田百閒なんていっても外国の方にはちんぷんかんぷんだったと思うのだが、好意的に受け留めて下さったのが嬉しかった。誰もがユニークで、誰もが美しい……そんな言葉を戴き、心が暖まるのを感じた。それで今日の活動は終わった。

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内田百閒『冥途・旅順入城式』を読み終える。やはり恐ろしい短編集だ。そして、語り口が巧い。百閒の作品は夢の論理でできていると思う。夢の中の論理……それは夢の中に生きているならその夢の中の荒唐無稽な論理を受け容れざるをえない、ということだ。夢の中で「これは夢だ」とわかっていても、その夢から出ていく術がわからずしたがってどんな荒唐無稽なものが現れても、どんな不条理なことが起きてもそれを自分からコントロールする術がない以上付き合わざるをえない、そんな夢の論理なのだと思う。こうした夢を描いた達成はなかなか得られないものだと思う。その意味で百閒の作品は貴重だ。

百閒の作品を読み、そして小説としてポール・オースター『ムーン・パレス』を読んだ日々のことを書いている。早稲田に居た頃のことを思い出してしまう。私は当時音楽と小説を好む青年だった。当時から既に生きることに絶望しており、酒こそ呑んでいなかったものの憂鬱に苦しめられて過ごしていた。アルバイトも自分で見つけられず、したがって親の仕送りで暮らしているニート同然の人間だった。東京を意味もなく散策して、リルケや村上春樹やベンヤミンを読み(読んでも意味なんてわかっていなかったのに)、作家になりたいとぼんやり思っていた。

早稲田に居たと言えば人は大抵驚くのだけれど、でも私からすれば(下品な喩えになるが)昔アダルトビデオに出ていたとかそういう類の過去である。「バカなことをしたなあ」というような、含羞に満ちた過去だ。今の方が楽しい。今は友だちも居るし、シラフなのでご飯も美味しいし、自分の好きなように生きていける。早稲田に居た頃はなにをしても満たされず、せっかく友だちができても喧嘩別れしてしまったし、いつも罪悪感に苛まれて、生まれてきたことが間違いだとばかり思って生きていたのだった。そんな日々を思い出す。

夢のような荒唐無稽な出来事を描いた作品、ということで思い出すのはバリー・ユアグローや島尾敏雄の作品だ。笙野頼子や川上弘美も捨てがたい。彼らの作品を読んで私も夢日記を書いていたこともあったが、最近は夢を見ないので書けないでいる。過去にほうれん草の大木をチェーンソーで切り落とした話などを書いたことがあったが、そういうアイデアも出てくることもない。まあ、こういうのはミューズというか創造の女神の囁きを待つことも大事だろう。それまで古井由吉を『仮往生伝試文』やフェルナンド・ペソア『不安の書』を読みながら過ごすとしようか。

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山本一生『百間、まだ死なざるや』を読み終える。昨日も書いたが、思い起こせばあれは私がハタチ頃だったか、当時私は小説家志望の学生だった。作家への指南書を読んで内田百閒の『冥途・旅順入城式』が必読書の中の一冊に挙げられているのを読んで、早速岩波文庫に収められている一冊を買い読んだのだった。それまで百閒のことは全然知らなかったので、『冥途・旅順入城式』を読んで夏目漱石『夢十夜』にも通じる恐ろしい(この「恐ろしい」は、「怖い」というのもあるし「崇高な」という意味も含む)世界に度肝を抜かれた。

爾来、折に触れて私はこの『冥途・旅順入城式』及び『東京日記』の文庫本を読み返してきた。ハタチ頃に買った文庫本はコートのポケットに入れて持ち歩いていたためボロボロになってしまった。何度読んでも飽きが来ない。オチが分かっていても面白く感じてしまうのだから、百閒の語りはさながら古典落語にも似た独自の巧さ/旨さを備えたものだと思う。今回『百間、まだ死なざるや』を読み、この掴みどころのない内田百閒という作家の凄みの片鱗を知った気がした。いい本を読んだ、と思った。私なりに言えば「コクのある」本、というべきか。

ハタチ頃、私は古典というものをさほど熱心に読んでいなかった。新刊ばかりを追いかけてしまう人間で、夏目漱石や内田百閒など岩波文庫に入っている作品なんて古臭いとばかり思っていたのである。ある意味その「古臭い」と思ってしまう心理は当然のことなので(「古典」なのだから)、今のように古典ばかり読むようになったのはどういうきっかけだろうか考える。多分慣れたからだろう。古典の中に備わっている「悠久の時」というか、古典の中のゆったりした時間を楽しむゆとりというものができてきたのだと思う。その時間に慣れると、逆に今の作品の空気がけたたましく感じられる。

『百間、まだ死なざるや』を読み、私は百閒というしぶとい人物の凄みに触れ、改めて尊敬したい気持ちが湧いてきた。人一倍繊細で、それでいて人一倍大胆。大学の教官という職を得て安定した収入があるのになぜか借金に苦しみ、戦争に翻弄され掘っ立て小屋暮らしまで経験した人物。どん底を経験し、その中で本当に「まだ死なざるや」な人生を生きた人物が書いたのだと思うと彼の『冥途・旅順入城式』『東京日記』の凄みが改めて際立ってくる。私が受け継げるのはなんだろう。せいぜいカネがないなりに楽しく生きる知恵と猫への愛情くらいかもしれない。

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今日は職場で面談があった。そこで今後の働き方について話し合う。今回も、私は自分の仕事ぶりを正直に話した。というか、そうするしかなかった。上司の立場から見えるのはきっともっとマクロな世界だろう。私のような末端の人間から見える世界とは大違いだと思う。私が話せるのは小さなことばかりだ。日々困っている聴覚鈍麻、相貌失認、そして発達障害から来るコミュニケーションの困り感……だが、それは確実に私の労力を奪っている。そんなことを話した。上司とコミュニケーションがうまく行っていないことに関しては相手も問題視しておられた。

夜、ZOOMを使って「やさしい日本語」を使ったワークショップに参加する。被災したというシチュエーションから、相手にどうわかりやすく事柄を伝えるかを考えるという内容だった。私が苦し紛れに「張り紙もいいが、識字障害で読めない人もいるだろうから絵を使うのはどうだろう」と言ったら肯定的に受け取られたようで嬉しかった。これも発達障害について知り、宍粟市の外国人の方の生活について知ったおかげだと思う。他の方からも阪神淡路大震災の記憶などが語られ、多々教えられることのある有意義な集いになったと思った。

その後山本一生『百間、まだ死なざるや』を読む。評伝ということもあり事実の羅列を読むのでやや退屈ではあるが、それでも内田百閒の生き様は生々しく伝わってくる。借金をせずにはいられない人生を送り、書いた小説はなかなか理解されず、だが孤独に生きたわけではなく常に芥川のような畏友が居た、という人生。ふと、私も『新輯内田百閒全集』を読むのはどうだろうと思った。百閒の書くものと本格的に向き合おうと思ったのだ。早速図書館に予約してみた。読めるかどうかはわからないが、挑む価値はあるだろう。

その後なにか小説でも書こうかと思ったのだが、書く気になれずダラダラ百閒の文庫本をめくっているうちに夜は更けてしまった。ここ最近映画も観ていないし、なにか有意義なことをしないとと思う反面どうしても「やりたいこと」しかできない性格なのでのんべんだらりと終わってしまう。まあ、しょうがない。こんな感じで今年もすでに読みふけった百閒や古井由吉を読み返し、大きな小説を書きたいと思いつつ断片的なものを書き散らして終わるのかなあ、と。今年はいったいどんなものが私の内側から湧き出てくるのだろう。

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今日は発達障害を考えるミーティングに参加した。兵庫県は緊急事態宣言が発令されているので、ZOOMを使ったオンラインでの集いとなった。私も今の仕事での悩みごとを明かし、どうしたらいいのか解決策を練る。働くとはなんだろう、とふと思った。むろん金が必要だから働くのだけど、しかしそれだけだと味気ないようにも思った。働くことを通して幸せになりたい、自己実現を図りたい、役に立ちたいという動機が大事なのではないかとも思った。そういう動機を持てるように仕事を捉え直すことが肝要ではないか、と。

ミーティングが終わったあと少し仮眠を取って、ミヒャエル・ハネケ『ハッピーエンド』を観た。家族とはなんだろう、と考えた。私は家族とは仲がそんなによくないのだけれど、でも両親が私みたいな子どもを大事に育ててくれたことの恩は忘れたくないと思っている。ハネケのこの映画は決してわかりやすくドラマを展開するわけではないが、注意深く観ていると家族がそれぞれ問題を抱えていてそれを個人的に解決しようと躍起になっているのがわかる。私もかつて、仕事を辞めたいと思い、誰にも打ち明けられず自殺未遂をしたのだった……。

夜、時間を持て余したので『天才たちの頭の中 世界を面白くする107のヒント』を観る。北野武やタランティーノといった「天才たち」に創造性の秘訣を訊いた映画であり、単純な「創造性」とはなにかという問いが次第に深められて考察されていく。どの「天才たち」も誰かに迎合せず自分だけの哲学を持っていることがわかって面白かった。彼らが頭の回転が速いことに恐れおののいてしまう。最後まで観終えても結局「クリエイティビティとは?」はわからなかったけれど、ここまでコメントを集めたことは評価されていいだろう。

前にも書いたのだけれど、私は40になった時に断酒を始めた。そしてそれと並行して、映画を観ることを始めた。最初はゴダールを観ても全然わからなかったけれど、次第に慣れてきた。自分がそうやって変化し成長していることが嬉しく感じられる。今のこの状態が絶対ではない。映画を楽しめるようになれた今、映画と付き合ってきてよかったと思った。これからも映画は観るだろう。今、この瞬間から始めたことが意外な形で結実する可能性がある……この日記だってそんな「今でしょ!」という気持ちから始めたのだった。そんなことを思い出した。